無念な風景。
米作りがしたいと思ったのは、引っ越した先の淡路島で瀬戸内海を見下ろす美しい棚田を目にした時でした。
今から20年以上も前のことですが、その風景に魅せられて自ら米作りをするようになってからも、四季折々にカメラを携えて美しい棚田に通ったものでした。
心和む豊かな水稲のうねりや野芝の畦が見事に刈り揃えられた風景は、百姓の苦労も喜びも充分に知らない頃でしたので、純粋に憧れて夢みていました。
幸か不幸か、引っ越して来た女房の祖母の里である淡路島に先代が残してくれた棚田が休耕田として残っていたので、真似事のような米作りを始めました。
田植えの時期、収穫の時期と四季折々の美しい風景を客観的に楽しませてくれつつ、真似事から始めた僕の棚田の米作りが20年以上も続けられたのは、そこの美しい棚田があったからこそだと思います。
*
ところが、僕が憧れたその美しい棚田は、現在は作り手を失って休耕田となって既に数年経ち、その間に観るに忍びないほどの残念な耕作放棄地となっています。
田植え機やコンバインなどの農機が使えないほどの小さな棚田は、年老いた夫婦二人きりの大変な苦労の賜物だったことがよく解ります。
原田泰治が描く日本の原風景のような棚田でしたが、美しい、長閑なだけでは済まない農家の苦悩がその裏には現実として有ったのは想像に難くありません。
棚田に限らず我が国の農業は、高齢化、後継者不足、米価下落、自然災害、害獣被害など、それらの現実が否応なく目の前に突きつけられ、農政も方向が定まらず未来が見えない有様です。
美しい棚田は何かの事情で維持管理が出来なくなったのでしょうが、そうなると荒廃は本当に早く、特に温暖な淡路島では雑草や灌木の育ちが早く2〜3年で草茫茫の野山に戻ってしまうのです。
下の写真が美しい棚田のあった現在の写真です。
冬の風景とはいえ上のかつての風景とは信じ難い程の変わりようで、青い空と海だけが面影を残していて無惨です。
僕はメッセージ性の高い写真を撮る社会派の写真家ではありません。美しいもの、カッコいいものだけを撮りたいというノリの軽いカメラマンです。
阪神淡路大震災の当の被災者であり、スクープ級の光景をたくさん目あたりにしましたが、ついに震災関連でカメラのシャッターは一枚も切らずじまい。
美しくも無い無惨な風景や光景にはレンズを向ける気は起きないのですが、荒れ果てた棚田の畦に立ったとき「この風景は撮っておけ!」という声のようなものを背後から感じて写真を撮りました。
あの美しい棚田風景が、ものの2〜3年でこんな荒れた獣の棲み家のような景色に変わり果てるということを、ただの記録としてだけではなく・・・。
悲観的な材料しか無いような難問山積の島の中山間地区の農業ですが、誰かがバトンを繋いで行かなければ、荒れ放題の田畑の島になるしかなく、景観を維持するだけでも相当な覚悟がいるのは確かです。
帰り際に棚田の最上部の小さな溜め池を覗くと、半ば白骨化したイノブタの死骸が浮かんでいました。穏やかで美しい瀬戸内の海と対照的に、僕には日本農業の荒廃を象徴するような光景だと直感しました。
*
*
今思ってみると、荒れ果てた「棚田の風景を撮っておけ!」という声の主は、小さな溜め池で命尽きたイノブタの骸だったのかも、という気がしています。
************************************************************************