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棚田の自然

2014年3月25日 (火)

無念な風景。

Tanada1

米作りがしたいと思ったのは、引っ越した先の淡路島で瀬戸内海を見下ろす美しい棚田を目にした時でした。

今から20年以上も前のことですが、その風景に魅せられて自ら米作りをするようになってからも、四季折々にカメラを携えて美しい棚田に通ったものでした。

心和む豊かな水稲のうねりや野芝の畦が見事に刈り揃えられた風景は、百姓の苦労も喜びも充分に知らない頃でしたので、純粋に憧れて夢みていました。

幸か不幸か、引っ越して来た女房の祖母の里である淡路島に先代が残してくれた棚田が休耕田として残っていたので、真似事のような米作りを始めました。

田植えの時期、収穫の時期と四季折々の美しい風景を客観的に楽しませてくれつつ、真似事から始めた僕の棚田の米作りが20年以上も続けられたのは、そこの美しい棚田があったからこそだと思います。

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ところが、僕が憧れたその美しい棚田は、現在は作り手を失って休耕田となって既に数年経ち、その間に観るに忍びないほどの残念な耕作放棄地となっています。

田植え機やコンバインなどの農機が使えないほどの小さな棚田は、年老いた夫婦二人きりの大変な苦労の賜物だったことがよく解ります。

原田泰治が描く日本の原風景のような棚田でしたが、美しい、長閑なだけでは済まない農家の苦悩がその裏には現実として有ったのは想像に難くありません。

棚田に限らず我が国の農業は、高齢化、後継者不足、米価下落、自然災害、害獣被害など、それらの現実が否応なく目の前に突きつけられ、農政も方向が定まらず未来が見えない有様です。

美しい棚田は何かの事情で維持管理が出来なくなったのでしょうが、そうなると荒廃は本当に早く、特に温暖な淡路島では雑草や灌木の育ちが早く2〜3年で草茫茫の野山に戻ってしまうのです。

下の写真が美しい棚田のあった現在の写真です。

冬の風景とはいえ上のかつての風景とは信じ難い程の変わりようで、青い空と海だけが面影を残していて無惨です。

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僕はメッセージ性の高い写真を撮る社会派の写真家ではありません。美しいもの、カッコいいものだけを撮りたいというノリの軽いカメラマンです。

阪神淡路大震災の当の被災者であり、スクープ級の光景をたくさん目あたりにしましたが、ついに震災関連でカメラのシャッターは一枚も切らずじまい。

美しくも無い無惨な風景や光景にはレンズを向ける気は起きないのですが、荒れ果てた棚田の畦に立ったとき「この風景は撮っておけ!」という声のようなものを背後から感じて写真を撮りました。

あの美しい棚田風景が、ものの2〜3年でこんな荒れた獣の棲み家のような景色に変わり果てるということを、ただの記録としてだけではなく・・・。

悲観的な材料しか無いような難問山積の島の中山間地区の農業ですが、誰かがバトンを繋いで行かなければ、荒れ放題の田畑の島になるしかなく、景観を維持するだけでも相当な覚悟がいるのは確かです。

帰り際に棚田の最上部の小さな溜め池を覗くと、半ば白骨化したイノブタの死骸が浮かんでいました。穏やかで美しい瀬戸内の海と対照的に、僕には日本農業の荒廃を象徴するような光景だと直感しました。

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今思ってみると、荒れ果てた「棚田の風景を撮っておけ!」という声の主は、小さな溜め池で命尽きたイノブタの骸だったのかも、という気がしています。

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2008年7月14日 (月)

大きなクヌギの木の下で

Kunugi

淡路島の家に移り住んだ当時は、まだそれほど大きな木ではなかったのですが、前から虫とりの場所として人気があったようで、この時期になると若いお父さんに連れられた子供達が虫かごを下げて、こんな処までやってくることがあります。多分、お父さんが子供だった頃、このクヌギの木でカブトムシやクワガタを捕まえた記憶があったのでしょう。

溜め池から吹いてくる涼風が、クヌギの樹の木陰を通って我が家の門をくぐりぬけ、庭に入ってきます。夏の暑い日中はその木陰に折りたたみのパイプ椅子を持ち出して本を読んだり、うたた寝をして過ごしたりします。風がたえず通るのでヤブ蚊に悩まされることなく快適です。

愛犬のココも快適な場所はよく承知していて、放してやると大抵僕の側で同じように寝そべっています。県道から入って細い道を通って、こんな辺鄙なところに来る人はせいぜい郵便屋さんか宅急便やさんくらいなので、人目を気にすることなくのんびり田舎時間を過ごすことが出来ます。

このクヌギの大木を県道の遠目から目敏く見つけて「10万円で伐ってあげてもいいよ?」とわざわざやって来た人もありました。冬の落ち葉の時期に掃除が大変だろうし、何より台風で倒れたりすると屋敷が危ないと言うのです。また、椎茸の原木が欲しいので伐らせてくれという人もあります。

たしかに、台風の時期には大きな枝が裂けて落ちたりして後片付けも大変ですし、冬の落ち葉の量といったら半端ではなく、とても大型トラックに1杯分では済みそうもありません。しかし、なぜかこのクヌギの木だけは伐ってはならないような気がするのです。

カブトやクワガタだけではなく、四季を通じてこの樹には沢山の訪問者が有ります。一年中訪れる常連客をざっと挙げただけでもメジロ、ホオジロ、ウグイス、ヒヨドリ、コゲラ、シジュウカラ、エナガ。キビタキ、サンコウチョウは夏鳥として。アオジ、ルリビタキ、ツグミなどは冬鳥として。タカの仲間、ノスリもこの横枝に止まって獲物を探すのがお気に入りです。

彼らと同じように僕もまたこのクヌギの木を必要としています。木陰で読む本はこころに栄養をくれ、やがて心地よい眠りに誘ってくれます。そしてイマジネーション乏しい僕でもこの樹の下では、少し気が重いことですが、未来の地球環境のことなども考える機会をくれます。

冬には膨大な量の落ち葉が降り積もりますが、今年からそれを集めて腐葉土にして、おいしい野菜や米作りにリサイクルさせる試みを始めました。

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2008年6月29日 (日)

スモモもモモも桃なのか?

「桃・栗三年、柿八年」
植樹して実がなるまでにかかる年数を言ったものと教えられましたが、実際は3年程で実がなる柿も有るそうです。我が家の富有柿は諺通りにほぼ8年目で実をつけ初めました。

淡路島に移り住んだ時に、万が一、食糧難になってもなんとか食いつなげるようにと、少しずつ実のなる樹の苗をあちこちに植樹しました。柿、梅、ビワ、イチジク、ザクロなどなど。

桃と栗も植えたかったのですが、気温が高い淡路島は病害虫が多く発性して管理が大変というので仕方なく断念。
で、またまた親父ギャグ「桃・栗、残念!カキ?なるねん!!」

桃はダメでもプラム(スモモ)は大丈夫そうなので、10年程前に苗を買って来て植えたのですが、僕の太ももくらいの幹の太さになってもいっこうに実がなる気配がありません。バァさんなどは葉ばかり茂って畑の影になるのでいっそ切ってしまったら、と言い出す始末でした。

木を植えるということは未来を信じること。樹木の時間でノンビリ待つことが大切なのですね。孫の代にでも実をつけてくれればいいかなと半ば諦めてました。ところが、今年は剪定のタイミングが良かったのか雨の多さが功を奏したのか、ついに沢山の実をつけてくれました。

「瓜田に沓を納(い)れず、李下に冠を正さず」ご存知、瓜の畑や李の木の下では作物泥棒と誤解されるような紛らわしい行動はあえて避けるべき、という意味なのですが、李というのがスモモ(プラム)のことだと知ってましたか?

Photo

スモモ泥棒の嫌疑をかけられることも無い自分が植えた樹の下で、心置きなく写真撮影しながらちょいと枝からもいで熟れた実を口にしたとき、ふとそんな二つの諺を思い出しました。

下の画像は、バァさんがヒヨドリとの激しい争奪戦を制して収穫した完熟プラム。

Puramu


2008年6月19日 (木)

好き・嫌いの不思議

さて、これは一体何でしょうか?

Suzumebati1

僕はその自然の造形物に目を見張ったのですが、見つけた女房殿は早く始末してくれと近づきもしません。虫が好かないという言葉が有るように、昆虫が「好き」と「嫌い」の間には、花や鳥が好き、嫌いより遥かに遠い隔たりがありそうです。

息子は水棲動物、とりわけ魚類が好きでその方面に進学するつもりで夜中まで受験勉強(しっかり昼寝)しているわけですが、「クモが机を横切った」とか「ゴキブリが壁に張り付いている」と騒いでは眠っている僕を起こして虫退治をさせる程、女房殿と同じく虫が苦手です。(娘は僕と同じく、じゅっくりと観察してスケッチでもしたくなる方ですが)

虫が苦手な人は女性中心に結構多いのですが、飯より大好きという人もまた僕らが想像する以上に多いようです。「バカの壁」の著者、養老猛氏もその一人で、主催者からの依頼で氏の講演の撮影に出向いた際、その軽妙で含蓄のある講演に仕事を忘れて聞き入ってしまいました。

テーマは「長寿社会を健やかに生きる」でしたが、話が逸れて虫の話をしている時の講師の表情が少年のように生き生きとしていたのが印象的で、長寿社会を充実して生きるヒントはそこに有るのか、と妙に納得しました。

で、上の陶芸作家の作品のようなオブジェの創り手はハチでした。

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先日、納屋の天井裏に探しものに上がった女房殿が見つけたのです。多分、スズメバチが初期に放棄した巣ではないかと思います。あの強面で事実、凶暴なスズメバチがこんな繊細な美しいものを作れるとは正直、驚きです。

何れにせよこの中山間の片田舎では、好き、嫌いを超えて虫達とうまく共存するしか無いのですけどね。