命より大切!健康づくり
処暑も地蔵盆も過ぎたというのに、猛暑の日が依然続いています。
本来なら朝夕には初秋を感じさせる風などがソヨと吹いてもよさそうなものですが、まったく気配もありませんね。
こんな過酷な夏の本格的なランニングは健康的とはいえず、体に毒と思える程ですが、かといってランニングが日常になっている僕らには、走れない状況の方がもっと体と精神衛生に毒というのも困ったことです。
安全快適に走るには、この時期の時間帯として思いっきり早朝か、もしくは午後6時を過ぎて太陽が沈んだ時刻から走り始めることになります。
そうなると走る場所がたいへん重要になりますが、有り難いことに僕のランニングコースはプライベートフィールドと言ってよい程に独占出来る運動公園があります。
この美しい海の見える整備された運動公園は、外周4キロメートルの距離が走れますが、午後6時を過ぎると地元のわんちゃんの散歩とウォーキングの数人としか出会いません。
公共施設の利用率という観点からいうと勿体ないというしかないのですが、僕としては本当に有り難い場所です。
辺鄙な海外(?)に住んでいる者の数少ないメリットとしてあり難く利用させていただいています。
で、「命より大切!?健康づくり」という矛盾のタイトルの意味ですが、僕らの年代になれば解説すれば何となく納得出来る人もあるかと。
誤解を承知の極論なのですが、普段不摂生をして病に倒れ不本意に10年生きるより、元気に生きるために楽しく、時には苦しい健康づくりをしながら5年でぽっくり死ぬことが出来れば有り難いことだと。
この時代、長期に渡って病を抱え込み、まして入院生活などするのは公私ともにマイナスの経済効果が大きいのです。家族に与える負担も大きいし寝込む当人の辛さも考えると「あり得ない!」状況です。
僕の周囲にも、この「あり得ない状況」に見舞われた家族が結構あり、様々なケースがあり一概にいえませんが、もっと事前になんとか出来なかったのかと心が痛みます。
亡くなった親父は、長生きする気もないくせに健康にこだわり、野良仕事に精を出してそれで収穫した美味しい野菜を食べて健康的な暮らしを心がけていました。
そして、遺産もなかった代わりに借金も、家族への負担も残さずフイと畑に出て行くようにあっさり亡くなりました。
心身ともに健康的に生きて、「あ〜面白かった」という最後の言葉とともに、あっさりと電池切れのオモチャみたいに死ぬことが僕のファイナル・リクエスト。
やむなく重篤な病を得て無念な生活をされている人には酷なテーマかも知れませんが、心と体の健康をなくした人生はつまらないと単純な僕は思うわけです。
というか理屈ではなく、ランニングしていると健康のためというより、ただ元気に走れているという充実感が心地よくて・・・。
この年になっても、楽しく走れる丈夫な体と単純な頭を授けてくれた両親に感謝。
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